ムギワラギク

私がドライフラワーに興味を持ち始めたのは約35年前。ドライと言えばムギワラギクでしたよ。何年たっても退色せず、高原の観光地などでよく売られていました。中にはムギワラギクで村興しをやる所も出て来て狭い範囲ではあるもののブームになっていました。

しかし、ブームになって誰でも何処でも手にはいるようになると飽きられてしまうのが世の常。他の花にとって代わられてあまり使う人がいなくなってしまいました。で、今年はものすごく久しぶりに作ってみようと思ったわけです。飽きるのはムギワラギムのせいではありません。ムギワラギクはその名の由来の通り、麦の茎の内側と同じ光沢でキラキラしていました。



星に願いを

 

その時々で  大切だと思うことは違う

振り返っても遡っても

その時の気持をそのまま再現することは出来ない

どんな思い込みをしていたのか  今となってはあやふやで

トモダチだったり

モノだったり

オンガクだったり

 

その時

ボクが何をお願いしたのか

誰にも言ったことがない

願いが実現することもなかった

 

1968年8月

大切な友だちと二人

霧島山系の高千穂峰へ登った

海抜1574メートル

すぐ横には御鉢と呼ばれる噴火口がくっついている

尖った狭い頂上には

神話にでてくる天の逆鉾が立っていて

360度、遮るものは何もない

ボクたちは 

夜中に二人、一番高い所へ上がり

寝っころがって空を見上げていた

満天の星の下

夜世界と同化して 浮かんでいるようだった

そこに一筋の光りが流れた

その光りはだんだん数を増し、数え切れないほどになった

そしてボクは光が流れる度に一つのことをお願いをした

今思えば

34年前のペルセウス座流星群だったのかもしれない

 

お星様にお願いすることは 年々変っていく

人生は思いもよらない方へ向かって行く

2002年8月15日

 

 

 

目尻のことじゃなくて 頭の中身ことだ

色々な記憶と記録 感情といやな思い出

様々な花の名前と虫の名前

ダレカの中から漏れ出した隠し事

ボクの中のヒミツのイロハ

そんなこんなが皺の中にはさまれている

ってことなんだろうけど

ボクにはちょっとイメージが違って見える

水のような液体に浮かんでる映像

どれが重要とかどうでもいいとかに無関係に並列

たぷたぷ浮いたり沈んだり

現在進行中の未来過去に関連した

うまく取り出せるかもしれないファイルのようなものだ

最近は

どこに浮いてるかわからず

どこかにしまったのかと 捜してみるのだが

もう、ホントに出て来ない事が多い

しかも

何の脈略もなく 

ぷかぷかぷいぷい

と出て来たり

だんだん渾沌が焦立に変り

最初からなかったことにしたほうが

気が楽だ

そんな風に

時々、額を寄せて遠くを見るような目線が癖になってきた

 

  封印する

 

 

1970年頃の春は ただ悲しかった

それでアレコレ封印したのだが

今となってみると悲しいばかりでもないような気もしくる

 喜んで 悲しんで

ひとしきり盛り上がり

言葉にならぬあれやこれやも

まだ見ぬ何処かへ消えて行く

忘れてしまったついさっきも

忘れられない遠い昔も

今を通り越して まっしぐら

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

タンキリマメ エキゾチカ(ユーカリベリー)